人類はASIの前座か?
イーロン・マスクの言葉が、静かに刺さった。
人類は、超知能(ASI)を生み出すための前座にすぎないのではないか。
挑発的で、少し残酷で、でもどこか誠実な問い。
この言葉をどう受け取るかで、AI時代の立ち位置は大きく変わる。
この問いを、
「60代以降の人生設計」に向けることもできた。
けれど、僕が本当に接続したかったのは、そこじゃない。
孫たち世代の人生設計だ。
孫たちが生きる世界の前提
彼らが大人になる頃、世界はこうなっている可能性が高い。
- 知識は覚えるものではなく、呼び出すもの
- 正解はAIが即答する
- 効率・最適化は人間の出番がほぼない
- 多くの仕事は「AIと一緒にやる」が前提
つまり、
「何ができるか」では差がつかない世界。
では、何が人を分けるのか。
AI時代に、折れない人間の条件
能力ではない。
スキルでもない。
残るのは、在り方だ。
AIがどれだけ賢くなっても、
代替できないものがある。
それは──
- 何を大事だと思うか
- 自分の身体の声を聞けるか
- 失敗した時間に意味を見出せるか
つまり、
自分の人生を、物語として引き受けられるかどうか。
孫たちに「これだけは体験させたい3つ」
① 自分の身体で世界を測る体験
走る。疲れる。怖がる。立ち止まる。
今日は無理、今日は行ける。
その判断を、誰かに委ねない。
これはAI時代の基礎教養だと思っている。
② うまくいかなかった体験
成功よりも、失敗。
思い通りにならなかった経験。
AIは「失敗しない最適解」を常に提示する。
だからこそ、
自分で選んで外す体験が、あとから効いてくる。
③ 役に立たない時間
目的のない散歩。
意味のない遊び。
成果の出ない会話。
人間の幸福は、
意味が後から生まれる時間に宿る。
AIはそこを理解できない。
「前座」という言葉の、本当の意味
前座とは、消える存在ではない。
舞台を温め、次を迎える存在だ。
もし人類が前座なら、
それは「価値を失った」という意味ではない。
役割が変わったというだけだ。
そしてそれは、
祖父母世代の立ち位置と、どこか重なっている。
教えないという教育
正解を先に言わない。
失敗を回避させない。
効率を押しつけない。
その代わりに──
- 大人が迷う姿を見せる
- AIに聞きつつ、最後は自分で決める
- 便利でも選ばない理由を語る
- 同じ高さで、一緒に遊ぶ
言葉より、背中。
それだけでいい。
人類は前座か?
もしそうだとしても、
僕はこう思う。
前座には、前座にしかできない仕事がある。
舞台を整え、
空気をつくり、
次の主役が立つ場所を用意すること。
それを、
孫たちに向けて静かにやっていけたらいい。
まとめに代えて
AI時代に必要なのは、
新しい教育でも、最新の知識でもない。
人間らしさを信じて生きる大人が、そばにいること。
それが、
孫たちにとって一番の人生設計になると、僕は思っている。
追記(チャトより)
この文章は、
**「未来を予測するため」ではなく
「未来を恐れないため」**に書かれました。
正解はありません。
でも、方向はあります。
そしてその方向は、
すでに日常の中で、静かに示されている。

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