立ったままでいると、
やがて、影ができる。
それは
誰かに押しつけられたものでも、
背負うと決めたものでもない。
光があるかぎり、
影はできる。
ただ、それだけのことだ。
責任とは、
正しさのことではない。
義務のことでもない。
ましてや、
罰でもない。
責任とは、
引き受けた意味が、
身体に重さとして現れることだ。
自由意志が
「意味を引き受ける力」だとしたら、
責任は
その意味が、逃げ場を失った状態だ。
言い換えれば、
もう戻れないということ。
影は、
自分の背中に落ちる。
前を向いているから、
見えない。
それでも、
確かにそこにある。
人はここで、
二つの選択肢があるように錯覚する。
背負うか。
捨てるか。
でも、
本当は違う。
すでに背負っている。
ただ、それに
気づくかどうかだけだ。
責任が苦しいのは、
それが不当だからじゃない。
意味が、
自分のものになったからだ。
他人の解釈に預けていた頃、
責任は感じなかった。
正しさの裏に隠れ、
物語の外に立っていられた。
でも、
意味を引き受けた瞬間、
逃げ場は消える。
言い訳も、
免責も、
観客席もない。
ただ、
自分の人生の当事者になる。
それだけのことだ。
責任は、
人を強くもしないし、
立派にも見せない。
むしろ、
黙らせる。
軽々しい言葉が、
出なくなる。
それでも、
影は悪者じゃない。
影があるということは、
光の中に立っている証拠だからだ。
責任を感じられる人は、
まだ、前を向いている。
逃げきった人に、
影はできない。
やがて、
人は気づき始める。
責任とは、
自分を縛るものではなく、
自分を、
この場所につなぎとめるもの
なのだと。

コメント