不完全だから、意味が生まれる。

 

最近、AGIという言葉をよく耳にする。

人類の知能を超えるかもしれない存在。

一番手がすべてを持っていく。

先行者利益が決定的だ――

そんな議論が、当たり前のように語られている。

 

でも、どこか引っかかっていた。

 

二番手だってAGIじゃないのか。

三番手が、まったく別の発想で出し抜くことだって

あるんじゃないのか。

 

「AGIだから怖い」という感情が、

人間の想像を

必要以上に膨らませているだけじゃないのか。

 

そんな違和感から、

思考は少しずつ

深い方へ降りていった。

 

完全な存在は、意味を必要としない

 

もし、完全な存在がいたとしたら――

 

迷わず、

間違えず、

常に最適解を選べる存在が

いたとしたら。

 

その存在は、

「意味」を

必要としないのではないか。

 

意味というのは、

 

・他の選択肢があり得た

・間違えたかもしれない

・よく分からないまま選んだ

 

そういう

揺れの中からしか

生まれない。

 

完全であるということは、

意味を問い直す余地がない、

ということでもある。

 

人間は、意味を生きる存在だ

 

人間は、

これまで多くのものを

手放してきた。

 

計算は機械に任せ、

記憶は外部に預け、

移動も判断も、

効率化してきた。

 

それでも、

手放さなかったものがある。

 

それが、

意味を感じてしまうこと。

 

走ること。

畑に立つこと。

一日の終わりに、

一杯を飲むこと。

 

どれも効率的ではない。

やらなくても困らない。

 

でも、

人はやめない。

 

そこに

「生きている感じ」が

あるからだ。

 

他者とは、分かり合えない存在である

 

もう一つ、

腑に落ちたことがある。

 

人は、

「分かり合えた瞬間」に

他者とつながるわけじゃない。

 

むしろ――

 

分からなかったけど、

そばにいた。

 

誤解したまま、

時間が過ぎた。

 

うまく言えなかったけど、

伝えようとした。

 

そんな瞬間に、

関係は生まれている。

 

もし、

完全に分かり合えてしまったら。

 

そこには

他者はいなくなる。

 

違いが消え、

関係は

「処理」になる。

 

分かり合えなさは、

関係が続くために

必要な余白なのだ。

 

不完全だから、つながれる

 

意味は、

一人では完結しない。

 

誰かに語り、

受け取られ、

ときには

ズレたまま残る。

 

その過程で、

意味は

「現実」になる。

 

だから人は語る。

 

理解してもらうためではなく、

自分の感じたものが、

この世界に存在してよかったかを

確かめるために。

 

AGIの先に、何が残るのか

 

AGIがどれだけ賢くなっても、

正解を出す速度や精度で

人間が勝つことはないだろう。

 

でも、

人間が失わないものがある。

 

不完全であること。

分かり合えない他者と、

それでも

同じ世界に居続けること。

 

それは、

競争では奪えない。

 

 

不完全だから、

意味が生まれる。

 

分かり合えないから、

他者とつながれる。

 

たぶん人間は、

これからも

迷いながら、

遠回りしながら、

意味を生きていく。

 

AGIがどこまで進んでも、

その場所だけは、

まだ

人間の席だ。

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