2025年1月18日午前10時前
突然、ドン❗️と背中をグー👊で突かれた。
うぅ…なんだこれは…
北陸の冬。
仕事場に来て、まずエアコンの暖房と
ファンヒーターのスイッチを押すことが
最初の仕事なんだわ。
室内は3℃😆
温まるまで時間が掛かる。
しばらくはファンヒーターの前から動けない。
震えながら、
猫背になってファンヒーターの前で
スマホに目を落とした途端だった。
ドン❗️👊
なんなんだ…これは…
耐えられない痛さではないんだが、
立ってられないかも。
しばらくすれば治るだろう…
そう思って横になった。
2分、3分、5分…
痛みは引いていく感じがしない…
なんか下半身が冷たく感じるのは
なんでなんだろ…
やっぱり、なんかおかしいな。
いつもはいるミユキさんは、
孫のバスケの試合観戦で今、側にはいない。
どうしよう…
そう言えばノリくんは休みだったよな。
取り敢えず、看護師のノリくんに
様子を見てもらおうかな…
どうしようかな…
やっぱり行こう。
車で10分程の自宅にいる
ノリくんのところに行こう。
鈍い痛みが引かないまま
車に乗り込み、
50m程先の交差点で
信号待ちしてる間に思った。
…無理かも…
ノリくんの所まで運転はできないな…
車を止めて電話しよう。
「もしもし。」
出てくれた…
「もし、もし…」
絞り出した自分のしゃがれた声に
驚いたようで、
「せ、な、か、が…」
全てを説明する必要もなく、
間髪入れずに、
「すぐ救急車呼んで!!」
え、救急車って…
どれくらい経っただろう。
10分程でノリくんが来てくれてからは
安心してた様な気がする。
救急車も早かった。
痛みは相変わらずなんだが、
不思議な事に、
いったいどうなるんだろうという恐怖や
気持ちに不安がなかった記憶がある。
確か3人の救急隊に運ばれて、
ノリくんも救急車に乗り込んでくれた。
なかなか救急車が出発しない事に、
そんなに緊急じゃないんだと
勝手に思い込んでたし、
気のせいか痛みも落ち着いてたと
思ってた。
プラシーボ効果かね。笑
運ばれた病院に着くと、
ストレッチャーが4台順番待ち状態で
慌しかった。
僕についてくれた先生が、
「1番前の人は心肺停止で
蘇生してるところだから
少し待ってね。」
「え、大丈夫なんですか。
大変ですね。」
そんな会話をした記憶がある。笑
それからCT検査をしたんだけど、
もう一回詳しいCT検査をさせてね、と
言われて、
なんとなく嫌な感じがした。
案の定、
この病院では緊急手術は出来ないので
別の病院に行ってもらいます、とのこと。
僕についてくれた先生に、
別れ際に
「頑張ってね」と言われて、
「はい」とは言えず、
「何を頑張ればいいんですか?」
と言っちゃって、笑
「……なにも頑張らなくてもいいわ」
と笑ってくれた事に、
安心した記憶が残ってる。
搬送から次の病院に行くまで、
そばにいてくれて、
若い先生だったんだけど、
目がキラキラして見えて、
問診を通して
安心をいただいた気がした。
思わず、
「先生お名前は?」と聞いてね。
「尾本です。」
「尾本先生ですね。」
名前を聞けて良かったと感謝を告げて、
頑張らなくていいんだと手を振った。
あれから、
お礼はまだ言えてないんだけどね。
そこから先の記憶は曖昧だ。
次に搬送された病院で、
主治医の先生に
大動脈解離のA型だと告げられたか
どうかは覚えてない。
手術前に、
もし心臓の弁が破れていたら
弁の交換が必要になるんだけど、
人工弁と、
豚のなんかを利用した弁と、
どっちがいいですか?
と問われた。
人工弁は
交換不要だけど一生薬を飲み続けなくてはいけない。
豚の弁は
薬を飲まなくても良いけど、
10年先、再手術が必要。
これが究極の選択ってやつか…
俺にはそれを判断する術がない。
思わず、
「先生ならどっちを選びますか?」
と言っちゃってね。
先生は、
「僕なら一生薬を飲み続けたくないので、
年齢を考えると
豚の弁でも再手術する必要が
ないかもしれないので、
豚にします!」
キッパリと、
スッキリと、
正直さを感じたので、
「じゃあ、先生と同じにします。」
そう答えたのは、
今でもはっきりと覚えてる出来事かな。
でも幸い、
弁は無事だったのよ😊
ここでも感謝だよね。ほんと。
最後の記憶は、
看護師さんたちが、
脚のつけ根や、
首や、
腕や、
そこたらじゅうに、
「針を刺しますよー」
という声が飛び交い、
「あれ、どうしようか。今する?」
「んー、寝てからにしようか。」
「寝てからにしようか。」
そんな会話を聞いたのが、
記憶の最後。笑
僕はこのあと寝るんだ。
寝てから、なにされるんだろ…
と思いながら、
寝たみたいやね。笑

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