この世界を形づくる最小単位は、
私たちが触れられる「モノ」より、ずっと曖昧な存在だ。
量子の世界では、
物事は最初から一つに決まっているわけではない。
環境と関わり、影響を受け合う中で、
はじめて「ひとつの姿」として立ち上がる。
私たちの暮らしも、どこかそれに似ている。
長く使い、何度も触れ、時間を共にしたモノ。
それらは単なる物質ではなく、
記憶や感情、経験と結びついた存在になる。
安心した時間。
踏ん張った瞬間。
救われた思い出。
大切にされてきたモノは、
そうした記憶の層を静かに抱え、
気づかぬうちに、持ち主の心を支えている。
一方で、
役目を終え、意味を失い、
後回しにされたままのモノたち。
それらは責めてこない。
声も上げない。
ただ、視界の端で、
「未完了」の気配を放ち続ける。
見るたびに、
決断は先延ばしにされ、
思考は少しずつ削られていく。
片付ける気力が湧かないのは、
意志が弱いからではない。
すでに、考える余白が残っていないだけだ。
だから人は、昔から
「手放す」という行為に、
感謝や区切りの言葉を添えてきた。
捨てるのではない。
否定するのでもない。
今の自分に合わなくなった関係性を、
静かにほどいていく。
空間が整うと、
思考は軽くなり、
選択は澄んでいく。
劇的な変化は起きないかもしれない。
けれど、確かに、
世界の「重さ」は変わる。
信じる必要はない。
ただ、自分の周囲に流れる空気を感じてみてほしい。
そこに残るものが、
今のあなたと同じリズムで呼吸しているかどうか。
それだけで、十分だ。

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