灯があるなら
闇もある。
仏教では
それを
無明
と呼ぶ。
明るくない。
光がない。
見えていない。
無明とは
悪ではない。
罪でもない。
ただ
見えていない状態。
人は
最初
無明の中にいる。
自分が
何者なのか。
世界が
どう動いているのか。
生命が
どこから来て
どこへ行くのか。
わからない。
だから
迷う。
答えを
外に探す。
誰かの言葉。
誰かの思想。
誰かの成功。
だが
走っていると
ある瞬間が訪れる。
呼吸が整い
足音が続き
思考が
少し静かになる。
そのとき
人は
ほんの少しだけ
無明から
離れる。
何かを
理解したわけではない。
真理を
つかんだわけでもない。
ただ
静かになる。
そして
その静けさの中で
小さな灯に
気づく。
ミトコンドリアの灯。
細胞の灯。
生命の灯。
それは
ずっと
そこにあった。
無明とは
灯がないことではない。
灯に
気づいていないこと。
自燈明。
自らを灯とせよ。
法燈明。
真理を灯とせよ。
この二つの言葉は
無明の中にいる
人への
静かな案内だったのかもしれない。
REBORN RUNNER。
走るという行為は
無明を
消すことではない。
ただ
ほんの少し
灯を思い出すこと。
一歩
また一歩。
足音が
続いていく。
そのとき
人は
気づく。
闇は
敵ではない。
灯を
見つける場所。
無明は
終わるものではない。
灯を
見つけ続ける
旅。
REBORN RUNNER。
それは
光の物語ではない。
闇の中で
灯を見つける物語。

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