九十二年を生きた人が、
最後に帰りたかった家へ帰ってきた。
冷たくなった身体のまわりには、
娘がいて、孫がいて、曾孫がいた。
静かな別れではなかった。
頭を撫でる手があり、
開いてしまう口元を閉じようとする手があり、
まだ温かい小さな手が、
何度もその身体に触れていた。
まるで、
「おかえり」
と、家族みんなで迎えているようだった。
命を終えた一人の人のまわりに、
その人から続いた命が集まっている。
娘二人。
孫六人。
曾孫十三人。
けれど、
彼が残したものは、その数だけではない。
人が自然に集まり、
亡骸を怖がることなく触れ、
笑い声さえ混じるほど近くにいられる。
その光景こそが、
彼が生きた九十二年の答えだったのだと思う。
どんな人生だったのか、
90年以上の彼の人生において
タカキが共有できた時間は短かく
詳しくは知らない。
けれど、
その人が何を残したのかは分かる。
命は、
その人がいなくなっても終わらない。
受け取った人の中で続き、
さらに次の命へ渡され、
いつか本人も知らない未来まで広がっていく。
数十時間後には、
その顔も、身体も、目の前からいなくなる。
もう、
「あ、タカキさん」
という声を聞くこともない。
それでも、
曾孫たちの賑やかな声の中に、
娘たちの姿の中に、
これから続いていく家族の時間の中に、
彼は残り続ける。
人は、
最後に何を持っていけるのだろう。
きっと何も持ってはいけない。
けれど、
残していくことはできる。
命を。
記憶を。
人と人とのつながりを。
帰りたかった家で、
自分から続いた命に囲まれて眠る。
それは、
九十二年を生きた人にふさわしい、
とても賑やかで、
とても温かな帰宅だった。
どうか安らかに。
そして、
おかえりなさい。

コメント