一滴💧|七十二候|蓮始開(はすはじめてひらく)

蓮始開。
はすはじめてひらく。

蓮の花が、
開きはじめるころ。

まだ満開ではない。

固く閉じていた蕾が、
朝の光の中で、
一枚ずつ静かにほどけていく。

季節は、
完成した姿だけを
見ているのではない。

わずかに開いた花びら。
昨日とは少し違う色。
まだ誰も気づかないほどの変化。

それを見つけて、
「始まった」と受け取る。

そこに、
七十二候のまなざしがある。

蓮は、
仏教を象徴する花でもある。

妙法蓮華経。

その名にも、
蓮華の文字がある。

なぜ、
蓮だったのだろう。

蓮は、
きれいな水だけを選んで
咲く花ではない。

水面の下には、
濁りがあり、
泥があり、
見えない根がある。

泥の中では、
地下茎が横へ伸びている。

水面に浮かぶ葉は、
空気と光を受け取り、
そこで生まれた力を、
再び泥の中へ送り返す。

泥から養分を受け取り、
水を通り、
空気を運び、
光を命へ変える。

蓮は、
泥、水、空気、光を、
一本の身体でつないでいる。

どれか一つだけでは、
花は咲かない。

泥を拒むのでもなく、
水から逃れるのでもなく、
光だけを求めるのでもない。

それぞれの場所にあるものを受け取り、
巡らせながら、
水面の上に花を開く。

釈迦が、
蓮の内部の仕組みまで
知っていたのかは分からない。

けれど、
蓮が生きるその姿に、
何か大きな真理を見ていたのかもしれない。

泥の中にありながら、
泥に染まりきらない。

濁りを否定せず、
そこから茎を伸ばしていく。

苦しみのない場所へ移ってから、
目覚めるのではない。

迷いも、
痛みも、
過ぎてきた時間も、
すべてを足元に持ったまま、
今いる場所から花を開いていく。

それはどこか、
REBORNにも似ている。

過去を消して、
別の自分になるのではない。

傷がなくなってから、
生き直すのでもない。

過去も、
傷も、
積み重なった時間も、
すべてを根にして、
そこから新しい花を開いていく。

蓮始開。

まだ開ききらなくてもいい。

一枚の花びらがほどけたなら、
それはもう、
立派な始まり。

そして、
水面に静かに佇む蓮の下では、
泥も、水も、空気も、光も、
絶えずつながり、巡っている。

あの静けさは、
何も起きていない静けさではない。

すべてが動き、
すべてが支え合っていることを知ったうえで、
ただ静かに咲いている。

悟りとは、
すべてを切り離して
何もなくなることではなく、

すべてがつながっていることを知った静けさ。

蓮の花は、
そのことを知っているかのように、
今日も泥の上で、
涼しげに開いていく。

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