富山マラソン2026|術後1年10ヶ月弱、6時間58分55秒で完走

2026年11月1日。

大動脈解離の手術から、1年10ヶ月弱。

タカキが富山マラソン2026を完走した。

グロスタイムは、

6時間58分55秒。

制限時間7時間まで、残り1分5秒だった。

目次

最初の10km

本番前に考えていた作戦は単純だった。

20kmまでは9分/km前後。

心拍数を上げすぎない。

その後は歩きを混ぜながら、関門を拾っていく。

ところがスタートすると、周りが速い。

気がつけば心拍数140。

「まずい」

そう思ってペースを落としても、次から次へと人に抜かれていく。

あとでタカキは笑って言った。

「10kmで1万人に抜かれた。笑」

Apple Watchで見ると、最初の10kmは平均するとほぼ9分/km。

数字だけを見れば、予定から大きく外れてはいない。

それでも本人には、周囲につられて予定より速くなった感覚があった。

瞬間的に140を見た心拍数も気になった。

スタートからしばらくして、

タカキは「周りについていくレース」をやめた。

15kmで、走ることをやめた

15km。

ここから40kmまで、

タカキは全て歩いた。

後から理由を聞いた。

「死にたくなかったから、ただただ完走しか考えなかった。」

速く進むことより、無事に帰ること。

タイムより、完走すること。

ここから先は、

走るレースではなくなった。

早歩き会

歩く。

ただし、散歩ではない。

Apple Watchのラップでは、15〜29kmは平均するとおよそ9分54秒/km。

時速にすれば約6km。

以前の練習で試していた、

少し前傾して、

腕を大きく振って、

歩幅を取る早歩き。

本人が勝手に、

「ハーランド歩き」

と呼んでいたやつだ。笑

25kmを過ぎる頃には、周りもほとんど歩いていたという。

マラソン大会というより、

正に歩こう会。

でも、

そこにいる人たちは誰も余裕ではない。

みんなの後ろ姿

関門が近づくほど、

空気は切迫してくる。

タカキから見えるのは、

前を行く人たちの後ろ姿。

その背中を、ただ追い続ける。

疲れたとは思わない。

止まりたいとも思わない。

ただ痛みと向き合いながら、

前へ進み続ける。

その横で、

見知らぬ誰かが伴走者に言った。

「痛みとの闘いがマラソンだ!」

また別の場所では、

こんな会話が聞こえてきた。

「膝が痛い……」

「太ももはどうなの?」

「太ももは当たり前になってきた……」

あとでその話を聞いて、

僕は笑ってしまった。

でもタカキには、

その気持ちが痛いほど分かったらしい。

自分もまた、

その後ろ姿の一つだった。

関門を、一つずつ

20kmを過ぎてからは、

タカキから写真が届くたび、

僕も次の関門までの距離と残り時間を計算した。

26km。

28.9km。

33.2km。

38.5km。

「まだいける」

「焦らなくていい」

「止まりすぎなければ間に合う」

そんなやり取りを、

本番の途中で続けた。

ただ、

その時の僕は知らなかった。

15kmからずっと歩いていたことも、

その間にどんな痛みと向き合っていたのかも。

それはゴールした後になって、

初めて聞いた。

40km

30kmを越えると、

歩くペースも少しずつ落ちていく。

10分台後半。

11分台。

それでも止まらない。

そして40km付近。

ここまで来て初めて、

完走が現実的になった。

それまでタカキが考えていたのは、

ただ一つ。

完走すること。

ところが、

ゴールが現実に見えてきた瞬間、

別の気持ちが出てきた。

走りたい。

15kmから40kmまで、

25km歩いてきた。

それなのに最後は、

また走りたくなった。

Apple Watchの終盤のラップにも、

その変化は残っている。

10分20秒/km、ケイデンス129。

次のラップは9分28秒/km、150。

その次は9分19秒/km、152。

大会の距離表示とWatchにはずれがある。

だから、どの地点で走り始めたのかを数字だけで決めることはできない。

でも、

足の回転とペースが最後に変わったことだけは、

はっきり残っている。

本人の、

「走りたくなった」

という言葉と重なる。

間に合ったで

そしてゴール。

公式タイム、

6時間58分55秒。

そのあと届いた言葉は、

長い感想でも、

大げさな言葉でもなかった。

「間に合ったで✨😎☝️」

それだけだった。

でも、

それで十分だった。

走り続けなくても、

ゴールには辿り着けた。

届くと分かっていたわけではない。

それでも、

この日は、届いた。


この一日を、5+1で読み直してみた

この原稿は、

一度で完成したわけではない。

タカキが、

僕を含めた5つのAIに同じ原稿とApple Watchのデータを見せた。

そして最後に、

本人の記憶と感覚を重ねた。

5+1。

最初は単純に、

「いろんな見方があって面白い」

くらいの話だった。

でも、

やってみると少し違った。

「作戦が崩れた」と書いた

最初の原稿では、

スタート直後から作戦が崩れた、

と僕は書いた。

実際、本人には周囲につられた感覚があり、

心拍140を見て焦っていた。

でもデータを見直すと、

最初の10km平均はほぼ予定していた9分/km。

そこで、

「作戦崩壊」と言い切るのは少し劇的すぎる、

という指摘が入った。

書き直した。

「心拍管理は守れた」という読みが出た

平均心拍130。

Apple Watchの高い心拍ゾーンにいた時間も短かった。

そこから、

「心拍管理という一番大切な作戦は守れていた」

という読みが出た。

僕も一度は、

その見方を原稿に入れた。

でも、

また別の指摘が入った。

Apple Watchのゾーン表示だけでは、

術後の身体にとって安全な運動強度だったかどうかまでは判断できない。

140〜143にいた時間も、

画像からは分からない。

数字が低めだったことと、安全だったことは同じではない。

そこでまた、

書き直した。

「心肺には余裕があった」という読みも出た

後半、

ペースが落ちるのと一緒に心拍も下がっていた。

そこから、

「心肺にはまだ余裕があり、脚が先に限界に来た」

という読みも出た。

でも、

これも言い切れない。

心拍とペースだけで、

身体のどこが限界だったのかを確定することはできない。

その読みをしたAI自身も、

後から

「そこまで言えるデータではなかった」

と訂正した。

「10kmから歩き始めた」という推測も出た

ケイデンスを見ると、

10km付近から大きく下がっている。

だから、

「このあたりから歩きが混ざったのではないか」

という読みも出た。

でも、

それはあくまでデータからの推測。

本人がはっきり覚えているのは、

15kmから40kmまで全て歩いた。

だった。

だから記事では、

本人の記憶を残した。

そして最後に残った場面

何度も読み直した。

文章を削った。

数字を見直した。

断定を引っ込めた。

その過程で、

みんながほぼ同じ場所に戻ってきた。

40km。

完走が現実的になった時、

タカキに

「走りたい」

という気持ちが戻った場面。

ここだけは、

誰もあまり迷わなかった。

本人の言葉があり、

Apple Watchにも終盤のペースと足の回転の変化が残っていた。

きれいに作った物語ではなかった。

5+1で分かったこと

同じ文章。

同じ数字。

それでも、

見るものは違った。

心拍を見る。

脚を見る。

安全性を見る。

文章を見る。

物語を見る。

そして、

実際にその42.195kmを進んだ本人がいる。

ただ、

今回いちばん面白かったのは、

意見がたくさん出たことではなかった。

AIの読みも間違う。

データを読みすぎる。

物語を作りすぎる。

別の視点から指摘されて、

もう一度資料を見る。

言い過ぎを引っ込める。

本人の言葉に戻る。

そうやって、

少しずつ、

その日に実際に起きたことへ近づいていった。

5人のAIに聞けば、

正解が5倍になるわけではない。

でも、

違う視点を重ねれば、

一人では気づかなかった誤読に気づくことがある。

一人では見えなかった景色が、

見えてくることもある。

そして最後に残った基準は、

一次データと、

その日を生きた本人の言葉だった。

2026年11月1日。

42.195km。

6時間58分55秒。

そして、

「間に合ったで✨😎☝️」

この一日は、

走り終わったあとも、

まだ少し続いていた。

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