夏も近づく八十八夜。
子どもの頃から、
その一節だけは、どこかで聞いたことがあった。
けれど、
八十八夜が何なのかを、
深く考えたことはなかった。
立春から数えて八十八日。
春が始まってから、
八十八の夜を越えた日。
霜の心配が少しずつ遠のき、
茶畑では新芽が摘まれ、
田畑では、夏へ向けた仕事が本格的に動き出す。
それは、
暦の上だけの節目ではなく、
土に立つ人の身体が知っていた合図だったのだと思う。
この日、走れた。
5月最初のジョグ。
5.83km。
川沿いには、まだ春の空気が残っていた。
けれど、その奥にはもう、
夏へ向かう気配があった。
無理に上げない。
突っ込まない。
身体の声を聞きながら、前へ進む。
そして午後、
その同じ身体で畑に入った。
鍬を振る。
しゃがむ。
立つ。
運ぶ。
また、土に向かう。
走る身体と、
耕す身体。
それは別々のものではなかった。
八十八夜とは、
春を眺める日ではなく、
春を働かせはじめる日なのかもしれない。
芽吹いたものを、
夏へ渡していく。
土の中で動き出したものに、
こちらの身体も合わせていく。
走った距離だけが、記録ではない。
土の上で動いた時間も、
しゃがみ、立ち、踏ん張った重さも、
身体の奥に積もっていく。
夏も近づく八十八夜。
その歌の意味を、
この歳になって、
ようやく少しだけ身体で受け取った気がする。
季節は、
見るものではなく、
一緒に動くものになっていた。

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