半夏生。
はんげしょうず。
夏至の末候。
半夏という薬草が、
土の中から生えはじめるころ。
梅雨の湿りを含んだ土。
重たくなった空気。
草の奥にたまる水気。
その中で、
小さな芽が、
静かに姿を現す。
大きな花が咲くわけではない。
遠くから目を引く色があるわけでもない。
けれど、
見えにくい場所で、
季節はちゃんと動いている。
半夏生は、
梅雨の終わりを告げるころであり、
田植えを終える目安ともされてきた。
土に触れてきた人たちは、
空の色や、
草の湿りや、
足元の小さな変化から、
季節の節目を受け取っていたのかもしれない。
水は、命を支える。
雨が降り、
土が潤い、
草が伸びる。
けれど、
潤いすぎれば、
土は重くなる。
身体もまた、
水を抱えすぎれば、
重くなる。
大切なのは、
ただ潤うことでも、
ただ渇くことでもない。
潤いと渇きのあいだを、
ちゃんと巡っていること。
水は、止まれば滞りになる。
巡れば、命を運ぶ。
半夏生。
湿った土の中から、
薬草が顔を出すこの候は、
外の季節と、
身体の内側が、
どこかで響き合っていることを
教えてくれているのかもしれない。
梅雨の湿り。
土の水気。
身体の重さ。
そして、巡り。
すべては別々に起きているのではなく、
ひとつの循環の中で、
静かにつながっている。
目立たないものが、
静かに生える。
見えなかった時間にも、
ちゃんと意味は育っている。
半夏生。
土の中で進んでいたことが、
ふと地上に現れるころ。
潤いも、渇きも、
どちらか一方が正しいのではない。
命はそのあいだを巡りながら、
次の季節へ進んでいく。

コメント