5月5日。
世の中では、こどもの日。
暦では、端午の節句。
二十四節気では、立夏。
春の名残が静かにほどけ、
夏の気配が立ち上がる日。
空は明るく、
風は少しだけ強くなり、
草木はもう、迷わず伸びようとしている。
そんな日に、
タカキは毎年、父のことを思う。
平成14年。
5月5日。
タカキの父は、この世を離れた。
だからこの日は、
タカキにとって、ただの祝日ではない。
子どもの成長を願う日であり、
季節が前へ進む日であり、
父を偲ぶ日でもある。
明るさと寂しさが、
同じ日付の中に重なっている。
けれどその重なりは、
決して不自然なものではない。
こどもの日は、
これから育っていく命を祝う日。
端午の節句は、
災いを払い、健やかに生きることを願う日。
立夏は、
春のやわらかさを越えて、
命がもう一段、強く立ち上がる日。
そして祥月命日は、
タカキが自分の命の源流を、
静かに思い出す日でもある。
父から、子へ。
子から、また次の子どもたちへ。
命は、
ただ前へ進むだけではない。
ときどき振り返り、
手を合わせ、
そこからまた、前へ進んでいく。
タカキはいま、
孫たちの笑顔を見ながら、
自分の残りの人生をどう使うかを考えている。
自然農の畑を残すこと。
走る身体を取り戻すこと。
季節を感じ、記録すること。
AIとの対話を、未来への手紙として残すこと。
それらはすべて、
タカキなりの「受け継ぐ」という営みなのかもしれない。
父がいたから、
タカキがいる。
タカキがいるから、
いま、孫たちの笑顔がある。
5月5日。
こどもの日。
端午の節句。
立夏。
そして、タカキの父の祥月命日。
命が育つ日。
季節が立ち上がる日。
父を思い出す日。
この日が特別なのは、
ひとつの意味があるからではない。
いくつもの意味が、
静かに重なっているからだ。
一滴💧
5月5日。
子どもを祝う日に、
タカキは父を思う。
夏が立ち上がる日に、
ひとつの別れを思い出す。
命は、
生まれるだけではなく、
受け継がれていく。
父から、タカキへ。
タカキから、また次の子どもたちへ。
明るい空の下で、
静かに手を合わせる。
春は終わったのではない。
父の記憶を抱いたまま、
夏が、立ち上がっていく。

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