水の縁に、
細い緑が立つ。
風に触れれば、
すぐにでも折れてしまいそうなほどの、
頼りなさ。
それでも、
その一本は、
確かにそこにある。
葭(あし)は、
弱い。
強く張るわけでもなく、
目立つわけでもなく、
ただ、
水と土のあいだに立ち、
風に揺れながら、
季節を受けている。
それでも、
そこから始まる。
昔、
パスカルは、
「人間は考える葦である」
と語った。
人は、
自然の中ではあまりにも小さく、
あまりにも弱い存在だ。
風に揺れる葭のように、
簡単に倒れてしまう。
それでも人は、
自分がそこにあることを知り、
感じ、
考えることができる。
その一点において、
自然の中にありながら、
自然を見つめる存在でもある。
水の縁に立つ、
この細い芽もまた、
ただの草ではなく、
春のはじまりを、
静かに受け取っている。
七十二候は、
大きな出来事ではなく、
こうした、
見逃してしまいそうな瞬間に、
目を向けていた人たちの感覚を、
言葉として残している。
どれだけ強くあるかではなく、
どれだけ繊細に、
世界の変化を受け取れるか。
そこに、
もうひとつの豊かさがあることを、
先人たちは知っていたのかもしれない。
人間もまた、
考える葦であり、
そして、
感じる葦である。
水の縁に立つその一本のように、
揺れながら、
それでも、
季節の中に立っている。

コメント