蚕が、
桑の葉を食べ始める。
それだけ聞くと、
どこか昔話のようにも聞こえる。
けれど、
この候が作られた頃の日本では、
桑は暮らしそのものだった。
葉は蚕を育て、
蚕は繭をつくり、
繭は糸になり、
糸は着物になった。
一枚の葉が、
遠くの誰かの衣服へと繋がっていた。
だから昔の人は、
桑の葉の開き具合を見ながら、
季節だけでなく、
暮らしの始まりも感じていたのかもしれない。
先日、
ふと見上げた桑の木には、
小さな実がたくさん付いていた。
地面には、
熟して落ちた実。
子どもの頃なら、
きっと拾って口に入れていたと思う。
今は、
その実を見ながら、
葉を食べる蚕を想像している。
七十二候を知るまで、
私にとって桑は、
ただの木だった。
けれど今は違う。
一枚の葉の向こうに、
蚕がいて、
糸があり、
着物があり、
人の暮らしが見える。
昔の人は、
自然を見ていたのではない。
自然の中にある、
暮らしを見ていたのだと思う。
そして、
その暮らしの変化を、
季節として残した。
見上げれば、
桑の葉は風に揺れている。
蚕の姿はない。
けれど、
あの葉を食べる音は、
今もどこかで続いている気がする。
おまけの一滴💧
実がたわわに実る頃になると、
今度は鳥たちがやって来る。
朝早くから、
枝の間を飛び回り、
熟した実を見つけては、
ついばんでいく。
けれど、
桑の実を待っているのは、
鳥たちだけじゃない。
孫たちもまた、
木の下を見上げながら、
黒く色づいた実を探している。
手も口の周りも紫色にしながら、
夢中で実を摘む姿を見ると、
なんだか昔から変わらない景色を見ている気がする。
そして、
その先に待っているのは、
ミユキさん手作りの桑の実ジャム。
甘さの中に、
少しだけ酸味があって、
季節そのものを閉じ込めたような味がする。
蚕は葉を食べ、
鳥は実を食べ、
子どもたちは実を摘み、
人はジャムを作る。
一本の桑の木が、
こんなにもたくさんの命と暮らしを支えている。
そう思うと、
見上げる木陰も、
少し違って見えてくる。

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