筍といえば、
春。
そう思っていた。
けれど、
七十二候の
「竹笋生」は、
いまの感覚より、
少し遅い。
富山では、
ゴールデンウィークの頃には、
もう掘っている。
だから最初は、
「あれ?」
と思った。
調べてみると、
昔の候が見ていた竹は、
いま一般的な
孟宗竹だけではなかったらしい。
真竹や淡竹。
少し遅れて、
静かに伸びてくる竹たち。
同じ筍でも、
見ていた季節が、
少し違った。
七十二候は、
正解を覚えるものではなく、
自分の土地と、
照らし合わせるものなのかもしれない。
「うちの辺りでは、もう少し早い」
そう感じることもまた、
季節を、
身体で読んでいるということなのだと思う。
昔の人もきっと、
空を見て、
土を触り、
竹林の気配を感じながら、
自分の土地の春を、
確かめていた。
同じ名前の候でも、
土地が変われば、
少しずつ表情が変わる。
その違いごと、
季節だったのかもしれない。

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